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「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」 [本・映画・アニメ・詩歌]

昨年このブログで、「夏の少女」という話を書かせていただきました。ブログに書くには長い話だったので、憶えておいでの方もいらっしゃるかもしれません。その話に「secret base~君がくれたもの~」という曲を載せたのですが、実はその際、この曲があるアニメ作品の主題歌に使われていることを知りました。今回はそのアニメ作品、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」(通称「あの花」)を紹介させていただきます。

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幼い頃(話中では正確な歳は分かりませんが、たぶん小学生)、仲良しの6人(男子3人女子3人)は、山間の秘密の場所に集まっては、自らを「超平和バスターズ」と呼んでいつも遊んでいた。しかしある日、その中の女の子が事故死してしまう。それがきっかけとなって、次第に疎遠になり、それぞれがそれぞれの方向に歩みだしていた。彼らが高校生になった時、この話の主人公の元に亡くなったはずの子が現れた。その姿は彼にしか見えず、最初は幻想かとも思ったが、共に暮らすうちに彼を次第に忘れ去ったはずの過去へと誘う。そして、魂となって戻ってきた理由は、「願いをかなえて欲しい」ということだった。それを機に、6人は再び顔を合わせることになる。

あらすじを書けばこんなところですが、死んだはずの子が幽霊となって現れるとは、まあ安いドラマやアニメではよくあることで、これだけを考えれば取り立てるような作品でもないのです。しかしこのオリジナルアニメ、2011年に26時過ぎという深夜、つまりは子供ではなく若者以上の大人が見る時間帯にテレビ放送されたにも関わらず(25分枠で全11話)高視聴率をあげ、今年には劇場版(というか総集編)が作られ、10月27日時点での動員数は75万人を越え、興行収入は10億を越えているらしいです。そして観客のほとんどが泣いた、ということ。
高校生を主人公にして、死んだ仲間を幽霊として出し、その間の恋話を織り込みながら、などという設定を聞けば、よく言えばファンスタスチック、悪く言えばアニメ特有の有りがちで安易な話ということになるでしょう。毎年数多くのアニメ作品が作られ、ほとんどが流れ去っていく中で、20代30代を中心に多くの共感を呼び、彼ら彼女たちの涙を誘ったのは、一体どういうことなのか。レンタルビデオ店で全6枚借りてきて、一気に見てみました。そして、不肖な50代のオジサンも、やっぱり最後には・・・

死んだはずの子は、容姿は成長して現れたものの、記憶や性格はその時のままでした。ヒロインと言ってよい幽霊の彼女が、当時のままの天真爛漫なのに対し、他の仲間5人は、悲しく消せない出来事を抱かえたまま時を過ぎ、それぞれが現在を生きています。その5人と過去のままの彼女を対比させることで、「あの頃」を蘇らせます。あの頃は本当はどうだったのか、あの頃から今まで自分はどう変わったのか、変わらなかったのか、そんな個々人の内面やささいな言動を、実に丁寧に描いて物語は進みます。このアニメは、ヒーローものや特殊能力を扱ったものでも、アクションものでも近未来の課題作でもありません。今を生きる普通の高校生たちが、過去の自分と仲間たちに相対した時どうだったのか、それを描いています。それはつまり、青春真っ只中の高校生、今と近い未来にしか目を向けていないように見える高校生、夢と希望が善であり、過去を振り返ることが悪であるように思える高校生にも、振り返るべき過去はあり、その過去が今に繋がって、今の自分がある、ということを、6人の人物描写で描かれています。そして、過去の方が重くなったオジサンやオバサンではなく、未来の方がずっと大きいはずの20代30代の若者たちの涙を誘うのは、そんな彼ら彼女たちにも、いや誰にだって今につながる過去があり、今を懸命に生きたがために少しずつ失ってしまった過去を振り返ることが、決してマイナスではないことを伝えています。死んだはずの人を幽霊として今に置くのは奇跡でしょう。けれどそれは物語の小道具にすぎません。これは以前書いたことのある浅田次郎氏の「鉄道員」に相通じるところで、今に繋がる過去を赤裸々に描くためのものであり、そして最後に「こんな奇跡があってよかった」と思わせられ、涙します。故に私は、このアニメを作品と呼んで良いと思いました。
25分x11話です。レンタルDVDでも、もう旧作扱いですからまとめ借りできます。もし総集編である劇場版を見るのなら、ぜひとも本編を先に見て欲しいと思って、ここに紹介させていただきました。ただし、一人で見ることをお勧めします。どんな時も涙を流さずに頑張ることも美徳なら、時には思いのままに涙することもまた美しい、と伝わる思います。

映画のロケ地をファンが訪れるのはよく聞きますが、この作品も舞台となった秩父市の様子が子細に描かれていて、「聖地巡礼」として多くの人が訪れ、その経済効果は数億円を地元にもたらした、というニュースも見ました。そうして訪れたファンの多くが20代だったようです。彼らにも10年前の自分が有り、50代の私にも10年前は有ります。10年という時間の長さは、「ひと昔」というには適当でしょう。何もかも変わってしまうほど長大な時間でもなく、かといって今と変わらないものを探すには、適当な長さなのかもしれません。私にも10年前はありました。皆さんにも10年前はあったでしょう。もし奇跡がやってきて、10年前の自分と向かい合ったら、さてあなたは何を語りますか?



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