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事故渋滞 [巷の雑感・時の想い]

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自動車を運転する方には、高速道路での事故渋滞に遭遇した経験、一度や二度はお持ちだろう。高速道を降りて一般道で行くべきか迷った末に、そのまま走り続けてしまい、延々とした車の列に否応なく参加させられた経験を、先週の私も積み重ねてしまった。
交通事故などは、誰にとっても起きて欲しくない事だし、望んでいる人など居ない筈だし、ましてや速度の上がる高速道路では重大事故につながる確率も高まるのだから、避けたいのは当たり前。しかし実際には、なかなか無くならない。ここでその原因や対処方について述べるつもりは無いのだが、高速道路上の事故と一般道路上でのそれとは、同一視してよいのだろうか。
高速道路での事故現場を通過する際、通り過ぎるドライバーに向かって「見るな!」と叫んでいる事故当事者を目撃したことが有る。これなどは、逆ギレと呼べれても仕方ない行為だとは思うのだが、現場を通過するドライバー達の視線が同情的なものではなく、好奇と迷惑を被った敵意を含んだものだった事の証左かもしれない。そう、高速道路上の事故には必ず渋滞が発生し、どうしてもそれに付き合わされる多くの他車(他者)が発生する。これが一般道路上なら、脇道を通って、とか、別の道を探して、といった方法が選択できる。故に、事故渋滞に付き合うことを選んだドライバー側にも、回避の方法の選択肢は少しは有るはずで、渋滞の責任の全てを事故当事者に着せるのは酷かもしれない。これが高速道路となると、別のルートを選ぶということは、インターチェンジで高速道路を下りるという選択しか無く、そのインターチェンジが非常に多く有って、何時でもどこでも降りられる、という訳ではないのだから、降りたくても降りられない、否応なく付き合わされる確率は、一般道よりも遥かに高いと思われる。
それに加え、高速道路を走るということは、無料ではない。高速道路を利用するのは、道に迷わない、煩雑な市街地を通らなくても良い、などの運転の利便性もあるだろうが、多くは一般道路を走るよりも時間的なメリットが有るからこそ、料金を支払ってでも走っていると思われる。それが、こうした事故渋滞のお陰で、そのメリットが無くなってしまえば、何の為に料金を支払って高速道路を利用するのか、ということになってしまう。そう考えると、事故渋滞に付き合わされる側は、実は経済的な損失を被っている、とも考えられる。しかし、だからといって、裁判所に訴えを起こした、という話を私は聞いたことが無い。事故の加害者・被害者という関係ではなく、二次的な影響者だからだろうか。それとも、同じドライバーとして、明日は我が身、ということもあってのことだろうか。これなどは極めて日本人的な同族意識のようにも思えるが、そうではない海外でも、あまりそういった話を聞いたことが無い。
これが事故渋滞ではなかったら、どうだろう。要するに、利用者過多による自然渋滞だったら、どうだろう。それでも、渋滞なのだから、利用者側に経済的な損失が発生すると思われる。しかしだ、事故渋滞のような原因となった特定者が存在しない。利用者の過多なのだから、その道路を作った国や自治体の見込みが甘かったせいで、利用者の支払った料金に対して、見返りとなるべくメリットが得られなかった、ということだろうか。そうだとしても、建造者側に過失が有ったと断定することは無理だろう。一時的に利用者の過多が起きたにすぎず、それをもって道路の欠陥や建設者の過失と断定することはできないだろう。できないと誰しも思うから、誰も訴えたりはしない。数キロの道程を一時間以上かかる渋滞だとしても、自然渋滞と事故渋滞を同じに論じることはできない。
事故渋滞に特定したとして、それが行楽日和の週末の日中に起こった場合と、平日深夜に起こった場合とでは、同じ程度の事故でも、引き起こされる渋滞の程度は異なるだろう。また、一車線を塞ぐような事故なのか、二車線とも塞いでしまう大事故なのか、によっても違うだろうし、撤去して元に戻す時間的な長短によっても、渋滞の程度が左右される。渋滞の責任、経済損失の追及を、事故当事者に求めるならば、当然これらの要因によって左右されなければ公平ではない。また事故直後に渋滞にはまってしまい、高速道路を降りようにも降りるインターチェンジが無かった人と、前方で事故渋滞が起きていることを知っていて、インターチェンジを一つ二つ見過ごして渋滞に陥った人とでは、たとえ同じ時間渋滞にはまっていたとしても、同じ賠償額を請求できるとも思われない。そういろいろ考えていくと、あくまで二次的被害者である我々の、実害を価格価値で示すのは、なかなか難しそうで、きっと裁判になったとしても、多くの識者の論議を踏まえなければならないだろう。う~ん、なかなか一筋縄ではいかないようだ。
一筋縄でいかない、とは、多くの論点があって、多方面からの議論が必要であり、それはつまりは、今私の目の前で起こっている交通渋滞と同じようなものだ。出口や解消は有るのだろうが、そこまで辿り着く時間や労力を考えれば、失ったメリット以上のものかもしれない。もしそうならば、無駄にあがくより、素直に遅々とした列が行き過ぎるのを待った方が、トータルでは得なのかもしれない。
さて、事故現場がやってきた。案の定、追突事故で追い越し車線を塞いでいたことが、この渋滞の原因であった。僅か数秒のその光景が過ぎると、いつも以上にスムーズに走れる。ここで、それまでの遅れを取り戻そうとスピード超過をして、自身が事故の当事者になっては身も蓋も無いのだが、喉元過ぎれば何とやら、で、もう「家に着いたら・・・」などと先の事を考えながら、スイスイと気分良く走る。はて?、さっきは何をブツブツと考えていたんだっけ?

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