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おめでとう [日々の徒然]

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誰にでも、一年に一度、必ずやって来る記念日

「おめでとう」と言われても、苦笑しかできない歳になってしまったけど

また一年無事に生きて来られたことを、素直に喜ぶべき日

この先の一年は分からないけれど

今日だけは、「おめでとう」と言ってくれる人が居ることを

素直に喜びたいと思います


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Lowepro Passport Sling [カメラ機材]

あ~あ、また買ってしまいました、カメラバック。

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エツミの「very M」というバックを購入したことを、以前このブログでもご報告しました。日常の外出にも気軽にカメラを持ち出せるように、という意味での購入でしたが、その気軽に持ち出すカメラがKiss DXならよかったのですが、それが7Dになると、日常の外出としては、財布や携帯電話なども入れて置きたいし、これではちょっと小さくて、出し入れが窮屈。そこで買い増したのが、同じくエツミの「D-spec」。これなら7D+レンズ1本+財布・携帯電話諸々を入れても大丈夫。これで完結となるはずだったのですが・・・
日常出かける際には、私は肩から斜め掛けできるバックが好みです。これなら両手が常に使えますし、自転車に乗る際も邪魔にならず。片方の肩に掛けるタイプはどうも肩が疲れてしまって好きになれず。それと日常の外出に使うなら、いかにもカメラバックですと言わんばかりのゴツイものはイヤだし、カメラバックに多い黒色もイヤでした。で、選んだのが、「very M」と「D-spec」(どちらもロータスブルーという水色っぽいもの)でした。「very-M」は大変気に入っていて、今でも外に出る際はほぼ毎回、財布や携帯電話を入れて使っています。そのせいで、随分汚れが目立つようになってきました。カメラも7D+EF-S15-85だけなら何とか押し込められますが、財布などの出し入れがしにくく、これではカメラを持ち出すのが億劫になります。その点「D-spec」なら問題は無いのですが、厚みが有るせいで体への密着度が薄く、肩からぶら下げたときには「箱」という感じがし、気軽な外出に長時間ぶら下げるには存在感が有り過ぎる感じでした。そんな中途半端な状態の時、近所のカメラ店で見つけてしまったのが「Lowepro Pssport Sling」(スカイブルー)です。SALEという値札が張られた5180円でした。後で分かったことですが、モデルチェンジしてⅡ型に変わったので、在庫処分セールだったのでしょう。ホントは別の色が良かったのですが、またもや同じような色になってしまいまったのは仕方ないですね(黒はイヤだったので)。

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外観は写真の通りの三日月型で、中のカメラ収納部分(クッションボックス)は7D+EF-S15-85+Fisheyeで一杯。けれど、その他の部分の収納スペースが大きいので、財布や携帯電話などを楽に出し入れできます。またサイドのファスナー式のマチを開ければ、更に収納力を増すことができます。ただこの部分にはクッション性の保護は有りませんので、カメラorレンズを入れるのには気が引けます。ロープロらしく、外側にもポケットが大小あり、飲み物のペットボトルを突っ込んでおく、ということも可能(蓋やファスナーは無い)。これまでのエツミのバック同様、素材はナイロン系で、高級感はありませんが、内部のクッションボックスを外せは、かなり小さく折りたたむことも可能。肩からぶら下げて小走りしても、体への密着感が有るのでブラブラせず、ぶつけたりすることも少なそうだし、今の私の用途には良さそうに思えます。

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バックは個々人の使用状況や好みが反映されるべきアイテムですから、私には良くても万人に適するとは限りません。が、気軽な外出で、カメラを持ち出さないときにはベリーM、カメラを持ち出す際にはこのパスポートスリング、ディースペックは車を使う際、といった使い分けをしていこうかなと思っています。

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「卒業写真」 [本・映画・アニメ・詩歌]

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悲しいことがあると 開く皮の表紙
卒業写真のあの人は やさしい目をしてる

町でみかけたとき 何も言えなかった
卒業写真の面影が そのままだったから

人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くでしかって



「人ごみに流されて変わってゆく私」とは、地方から出て都会暮らしを続ける私が、故郷に居た頃に持っていた純粋な気持ちを失っていく様のように聞こえます。しかし、そればかりとは限らないと思います。たとえ多数の人間の中に居なくても、長い年月を通じて多くの人と出会い・別れ、その悲喜が積み重なった状態をも含まれると思いました。それ故、別に都会暮らしをしていない人でも、「変わってゆく私」であるはずです。
それに対して「卒業写真のあの人」は、そんな時や人に流されず、あの時のままで居続ける。「しかって」は「叱って」でしょう。とすれば、変わった私は、良い方向ではなく、悪い方向に変わった、だから「叱って」ということなのでしょうか。それも、そうとは言い切れないと思いました。卒業写真に載っている「あの人」と相対していた頃の自分は、当然学生だったでしょうし、金銭的にも行動力の点でも、制限が有ったことでしょう。今よりも経験も知識も乏しかったことでしょう。全ての面で、今の方が劣っている、間違っているとは考え難い。そんな「あなた」に「叱って」と言うのは、あの頃に持っていたものを、今は無くしている、見失っている、からなのだと思います。そしてそんな自分を叱ることができるのは、あの頃の私を知っている、あの頃のままの「あなた」だと綴っています。
「叱って」という言葉の前に、「遠くで」という言葉が付きます。今の現実世界でではなく、あくまで私の心の中で、見守るように叱ってほしい、と言っているように聞こえます。


話しかけるように ゆれる柳の下を
通った道さえ今はもう 電車から見るだけ

あの頃の生き方を あなたは忘れないで
あなたは私の 青春そのもの

人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くでしかって

あなたは私の 青春そのもの



昔の級友たち、それが恋人だった人であろうと、親友だった人であろうと、アルバムの中のそんな人に出会うこと、それは昔の自分に会う事でもあります。それを郷愁というのでしょう。しかし、この詩の中には、「懐かしい」とか「恋しい」とか、心情を直接的に表すような言葉は一つも出てきません。唯一それらしいのは、「話しかけるように ゆれる柳の下を 通った道さえ今はもう 電車から見るだけ」という情景描写のみ。それも「話しかけるようにゆれる」という、何ともアンニュイな表現が、この詩を綴った作者の非凡を表しています。
この詩の中に出てくる「あなた」とは、一体誰なのでしょう。皆さんの中には、直ぐに顔を思い浮かべられる人もいるでしょうし、暫し過去を遡る時間が必要な人もいるでしょう。そんな思い出の人をお持ちの方、きっといらっしゃると思います。でも本当は、そんな「あなた」は居ないのではないか、と私は思ってしまいます。現実的に、卒業した当時のままに居続けられる人間なんて、まず居ないでしょう。時と共に成長し、挫折と成功を繰り返し、多くの人と触れ合いながら変化していくのが、人です。変わらないのは、アルバムの写真と自分の中の想い出のみ。色褪せない記憶の中の人に想いを馳せ、「叱って」と言うシチュエーションを作り出していますが、実はそれら過去の記憶を擬人化して、「あなた」と呼んでいるのであって、本当は、「あなた」は過去の自分自身なのではないか、と思ってしまいました。
曲の詩は、乗せるメロディと一体になって評価されるべきとは思います。けれどその少ない文字の中に、ハッとさせられることもあります。僅か200字ほど、13行のこの詩は、多くの言葉を重ねないと表せない、伝えられない、昨今の詩とは対極にあるように思えたので、ここに書かせていただきました。

悲しいことがあった時、つらい時、卒業写真をフッと覗いてみて、過去の自分と話してみることは、決して無駄でも、間違っているわけでもないと思います。むしろ、そんな「あなた」を持っていることを、誇りに思い、大切にしてください。


荒井由実 「卒業写真」


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上書き保存・フォルダ保存 [巷の雑感・時の想い]

パソコンの話ではありません、男女の恋愛のことです。「今どきの恋愛は、女性の恋は上書き保存、男性の恋はフォルダ保存」という格言(?)があるらしいです。そう言われてみれば確かに「言いえて妙」、皆さんも頷ける点が見つかるのではないでしょうか。
50も過ぎたオジサンが、今さら恋愛の事をどうこう書くのは滑稽かもしれませんし、第一に解説できるほどの経験も力量も持ち合わせていない私ですから、あまり突き詰めて考えるのは止めようと思います。ただ、「今どき」という前提はどうかな~、と思ったりします。つまりは、昔(少なくとも私の青春時代)から、実はそうだったのではないか、と。
もちろん一般論ですから、当てはまらない人・該当しないケースもあって当然だと思います。それでも自身を振り返って見れば、う~ん、確かそんなフォルダー有るよなあ、多くないけど、などと思ってしまいました。人として歩みを進めるうちに、自然と許容HDD容量は増えているようで、色褪せない記憶というファイルが、いつでも引き出せる形で残してある(実際に引き出すかどうかは別として)。そんなファイルのプロパティを見てみると、何と40年も前に作成されたものもあったりして。男性の皆さん、そんなファイルをデスクトップからゴミ箱までは移動できても、「ゴミ箱を空にする」ボタンを躊躇した経験、ありませんか?

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さて、恋愛という括りは抜きにして、もう少し広げて考えてみます。我々人間は、その人生の中で多くの人と出会い、別れていきます。二度と顔も見たくない・思い出したくもない人も当然いるでしょうし、辛い別れをした人・今でも遠くから友好を温め合う仲の人もいるでしょう。大学まで進学するとして都合16年(幼稚園も含めれば更に)の間、毎年のようにクラスメートとして大小の出会いや別れがあり、社会に出ても、仕事上で、近所付き合いや地域の活動で、子供の保護者として、様々な人たちと出会って別れていきます。その数は、勿論人によって違うでしょうが、とても数えられるような数ではないと思います。その中で、苦楽を共にし、時に共に泣き、笑い、自らの意志をぶつけ合ったり共有したりした人達、いったいどのくらい居るでしょうか。
人間ですから、時と共に自らの考えや志向も変り、それはまた相対する人の自分へ向けられた眼も、時とともに変わっていくでしょう。幼い頃の友情が今は滑稽に思えたり、共に力を合わせていたつもりが実は妥協の産物だったことに気付いたり、大切な絆と思っていたのに相手から見れば逆だったり、といったことは珍しくもないでしょう。それでも人は、一人では生きられません。そんな周囲の人との織りなすやり取りを続ける中で、出会ってもほとんどが過去に流れ去ってしまう中で、喜怒哀楽が生まれ、感情の交差が生まれ、記録or記憶という名か、想い出という名か、いづれかのフォルダーに書き込まれていく人もいます。その数は、ゴミ箱に入れられ消去された数に比べれば、ずっと少ない、遥かに少ないはずです。
私自身の事を申せば、特に人付き合いが得意な訳でも、常に多くの友人に囲まれていた訳でもなく、逆に、人見知りがちで、積極的に周りと親交を持つことに躊躇い、それでもストイックに孤独を愛するほどの強さは無く、そういった意味では随分中途半端な凡人だと自負しています。それでも、半世紀近くこの世で過ごしていると、このフォルダーは空ではありません。随分昔に入れたまま放置されたものも、最近になってデスクトップから移されたものもあります。それらは皆、その時の自分の成熟度や環境によって左右されたとしても、私には意味有る人達です。しゃにむに前ばかりを見ていた頃は、「とりあえず保存」したままだったのに、最近フッとこのフォルダーを開くことがありました。でもそれは、過去を懐かしむこと。過ぎ去った過去を振り返るより、まだ未定の未来へ目を向けるべきだ、との声が、私の耳に届きます。確かにそうでしょう。でも今の私は、否と言えます。過去に私に影響をもたらしてくれた人達、彼ら彼女らが居なければ、今の私は無かったのです。彼ら彼女らのお陰で、今の私が居るのです。過去にとらわれて未来を狭くすることは間違いでしょう。でも、自分の過去を捨て去ることもできないのです。振り返ってばかりで前に進まないのは間違いでしょう。でも、過去に積み上げた上にしか、未来は築けないと思うのです。
ただそれは、私側の理屈になってしまうこともある、と承知しています。迷惑だと感じていた人もいたかもしれないし、私との繋がりは過去のもの、と絶った人もいました。それは個々人が、それぞれに意志と趣向が有り、置かれた環境も違い、目指す道が様々有り、人が人である以上、仕方が無いことです。私の自我を押し付ける訳にはいきません。潔く消去ボタンを押すべきです。「記憶」を「未練」に書き換えてはダメなのですから。
友達となり、クラスや学校が変われば疎遠になっていく、それが自然なことだった40年前の私に初めて、人と別れるという事を考えさせてくれた人がいました。その時は自分でも気付いていなかったけど、理解してそうしていた訳ではなかったけれど、振り返って見ればそれ以来私は、一度心を許した人との絆を、なるべく失わないように努力してきたように思えます。その数は決して多くは無い。出会い別れた人達の数からみれば、僅か0.1%にも満たないでしょう。でも、その彼ら彼女らは、今の私を成してくれた、何ものにも代えがたい人達です。たとえ遠く離れていても、もう何年も会っていなくても。
他の人から見れば、指をさされ笑われる事かもしれません。それでも私は、そんなフォルダーを持つことを、恥とは思っていないのです。

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