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ワールドカップ [サッカーあれこれ]

4年に一度のサッカー最大のイベントであるワールドカップが終了して、もう一ヶ月以上経ちました。我らの日本代表の活躍については、皆さん既に知っているとおりですね。もちろん私も、サッカーを愛する末端の一人として、寝不足になりながらも毎夜、テレビの前で観戦しておりました。その祭典の終わった今、日本代表やサッカーを取りまく環境に対する話題・論評などが、各メディアを通じて報じられています。私は口を挟む資格も無いのですが、私的なブログですので、ちょっとだけ感じたことを書かせていただきます。
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実は私、サッカーというスポーツは日本人には合わないのではないか、と以前から思っていました。サッカーとは、一言でいえば、手を使わずにボールをゴールに入れるスポーツ、と言えるかもしれませんが、緑のグランドをボールを求めて追い回す様は、まるで野原で動物を狩る狩猟民族の姿を、どうも連想してしまうからです。元来、農耕民族と言われる我々日本人は、そうした集団で獲物を追い詰めて狩るというより、工夫と時間をかけてでも粘り強く物造りをする、という方が似合う国民ではないか、と思ってしまうからです。
試合をご覧になって分かるように、サッカーは結構過酷で過激なスポーツです。肉体と肉体をぶつけ合い、相手のボールを奪い、奪いに来た相手を跳ね返し、守るゴールにボールを突き刺すことを目的としています。対戦相手と肉体的な接触の無いスポーツと比べ、格闘技ではありませんが、身体的な強靭さが必要とされます。それに加え、90分間動き続けなければならない持久力も必要です。持久耐性については日本人も誇れるものを持っていますが、そうした相手の肉体とぶつかり合いながら走り続けるのは、日本人に適しているとはどうも思えないのです。その走る距離も、全力ダッシュと機敏な方向転換を繰り返しながら、一試合で10km以上の距離を走らなければならないのです。試合中や試合直後の選手の画がテレビで大写しにされますが、どの選手も汗でびっしょり(今大会は冬の大会で、気温が低いにもかかわらず)で、疲労困憊です。プロ野球の試合後の表情とはまったく違いますし、それゆえ野球のように毎日試合を行うことはできず、一週間に2試合でもキツイと言われるスポーツなのです。
日本の国技ともいわれる柔道や、昨今好成績を続けているレスリングなどは、肉体をぶつけ合う格闘技なのに、世界を相手に良い成績を収めているではないか、と反論もあるかもしれませんが、それらに共通するのは、体重別のクラス分けがされていること、競技時間が短いこと、基本的に個人競技なので、一人の突出した選手がいれば優勝できること、などが違うと思うのです。
では、そんな日本人に合わないスポーツを真剣にやる意味、多額の投資をする意味は無いのか、といえば、そうではないと思います。それはまず、サッカーというスポーツが、ワールドワイドで広く普及しているスポーツであるという点。日本人が日本という国土の中だけで切磋琢磨していればいい時代ではなく、今や世界の中での日本を感じ、考え、行動していかなくてはならない現在。ルールという平等を約束された土俵の上で、競いながらも交流するのがスポーツ。そのなかで、世界で最も認知されたスポーツであるサッカーに、日本が挑戦していくのは、世界の中で生きていかねばならなくなった日本として、当然であり必須であると思うからです。
そして私たちは、スポーツを通じて世界と戦う喜びと困難、夢を共有できる楽しさを知ってしまいました。とてもサッカーとは縁遠いと思われるおばちゃんたちが、「今日の試合も日本勝って欲しいねえ」「私も何か青い服を着てテレビを見ようかしら」などという会話を、地方の場末の飲食店で聞きました。日本でも各地が青く染まり、「たかがサッカー」のために、国民が一丸となって大きなムーブメントが巻き起こったこの事実。我らの代表が地球の反対側で、国力も文化も人口も違う国々の人々を相手に、同じルールの下、一つのボールを巡って戦い、それに一喜一憂する素晴らしさを知ってしまいました。これほどのスポーツ、サッカー以外にあるでしょうか。政治的、経済的な狡猾さの話題に疲弊していた私たちにとって、それは清々しい熱気に感じました。
それでも、素晴らしい事は分かっていても、挑戦するたびに世界に叩きのめされて帰ってくることを繰り返せば、気分も萎えます。しかし、今回のワールドカップ、日本代表の最終戦は、公式記録的には「引き分け」らしいですね。PK戦は、あくまで次のラウンド進出を決めるための便宜的措置。日本は、決して負けて大会を去るわけではない、「敗戦」ではなく「終戦」だったのだ、と思いたいです。いささか贔屓目だと言われるかもしれませんが、それが過去のどの大会とも、大きく異なる点だと思うのです。それはつまり、日本人のサッカーでも、努力・工夫すれば何とかなる、ということを示してくれたのではないか、と。先に、狩猟民族のスポーツには農耕民族の日本人は合わないのでは、と書きましたが、一致団結して一つの目標に向かうチームスポーツの美点(for the team)は、実は個を前面に出す他国よりも、日本人の方がよく理解しているのかもしれません。
JFAとJリーグは、「百年構想」と銘打って、日本におけるサッカーの普及に努める活動を1996年から続けています。道半ばどころか、まだまだ序の口には違いないのでしょうが、日本よりもずっとGDPが低い国でも、日本よりもずっと人口の少ない国でも、サッカーを取りまく環境が日本より優れている国々があります。そのことを、このワールドカップを通じて知ってしまうと(そうした他国の、他文化を知るということもワールドカップの意義なのかもしれませんが)、この構想を支持したくなる気持ちも湧いてきます。百年経っても日本代表はワールドカップで優勝できないかもしれませんが、日本のサッカーが世界における立ち位置をしっかり確立していること、私的には望みたいですね。もっともそうなると、日本人はもう農耕民族などとは呼ばれなくなっているかもしれませんが。

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