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寒椿 [巷の雑感・時の想い]

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春の訪れを謳歌するがごとく咲く花がある
夏の日差しをいっぱいに受けて咲く花がある
その夏に力を溜めたあかつきに咲く花がある
しかし
この厳しい寒さの中で艶やかに咲く花もある

歳の終りに感謝を込めて手を合わせる人がいる
歳の初めに願いを託して手を合わせる人がいる
久しぶりの家族の団らんを笑顔で楽しむ人がいる
しかし
そんな年の瀬も年初めも汗を流して働く人もいる

寒椿 何と孤高の存在よ
周りに媚びず流されず咲くその彩美な花は
自らの誇りの象徴なのか
それとも人知れぬ努力の結晶なのか

それが真の実力なのだと 告げられたように思ふ


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一円玉 [巷の雑感・時の想い]

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自宅から仕事場までは、さほど距離が有る訳ではないのですが、その途中にあるスーパーマーケットによく立ち寄る私です。先日も、飲み物でも買おうとレジに並んだ時に、レジ係の中年女性から声を掛けられました。
「待ってたのよ。この前来られた時に落とした一円玉、見つけておいたから」
そう言われて、一円玉を渡されました。そのレジ係の方とは、今まで客として以上の会話などしたことが無く、もちろん名前も知りません。世間話さえしたことがありません。よく行くので顔を知っている程度です。その方も同様、私のことなどほとんど知らないでしょう。そして前回来た時に、レジで支払う時に一円玉を落として、レジ台の下に入ったのか見つからずに、「一円ぐらいいいさ」と思って立ち去ったことなど、その時まですっかり忘れていました。
「次の日に来るかな、と思ってたんだけど、来なかったから」
その方は、事の仔細を書いたメモ用紙にその一円玉を張り付けて、引継ぎをしながら私が来るのを待っていたそうです。そんなことをすっかり忘れていた私が、やっと今日になって現れた、という訳です。さほど大型とは言えないスーパーマーケットとはいえ、一日に訪れる客はかなりの数でしょう。その中のたった一人に過ぎない私の落とした一円玉を、私が「たかが一円」と見捨てた一円玉を、その方はしっかり保管し、また来るであろう私を待っていてくれたのです。名前も素性も知らない私の為に。ちょっと感動してしまいました。それと同時に、一円をおろそかにした自分を恥じました。
「ありがとうね。ホント、ありがとう」
私はただ、その言葉しか出ませんでした。
クレジットカードやデビットカード等が普及した今では、こうした小銭をジャラジャラと持ち歩く方は、特に都会では少なくなりつつあるでしょう。そんなカードをかざして支払った方がスマートだし、レジ係の方も楽なのかもしれません。それでも一円玉は、最小単位とはいえ、現在の日本の貨幣に違いありません。その日私に渡された一円玉の、何と暖かだったことか。
街路樹の落ち葉が日増しに増える歩道を、その日ばかりは晴々とした気分で歩く私でした。

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びわ湖テラスにて [巷の雑感・時の想い]

「びわ湖テラス」に行ってきました。

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我が家からだと、琵琶湖大橋を渡って湖岸を走り、「琵琶湖バレイ」ロープウェイの乗り場を目指します。ただ8月最後の日曜日です。もう入り口付近から渋滞。麓の駐車場に停めて、無料のシャトルバスでロープウェイの乗り場までは何とかたどり着いたのですが、それに乗るのに長蛇の列。1度に100人以上乗れる大型ゴンドラなのが救いなのですが、それでも1時間は並びました。

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標高1100m山頂に立てば、眼下に琵琶湖の青い水面が眺められます。麓の気温は30度オーバーですが、ここは24度。しかも心地よい風が吹いていて、この景色と相まって暫く佇みたくなります。故に、「琵琶湖テラス」ができたのでしょう、納得です。

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山頂広場には、いろんなアクティビティが用意されていて、家族連れには一日楽しめそう。私達は、この打見山から更に、打見リフトとホーライリフトを乗り継いで、蓬莱山頂展望台まで行ってきましたが、これが正解。ロープウェイ山頂駅付近は人が多くて、確かに眺望は良いのですが、レストランに長蛇の列、下山のロープウェイにも長蛇の列を横目で見てしまうと、1時間も居れば降りたくなります。それが蓬莱山頂(1174m)まで行くと、随分人が少なくなり、更なる眺望をのんびり楽しめます(リフト代1200円の追加料金が必要ですが)。

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さて帰ろうか、と思ってロープウェイの駅に戻れば、案の定、長蛇の列。麓で並んだ列の倍は有りそうです。しかし、自分の足で下山することなど端から眼中に有りませんから、ここは並ぶしかないですね。
日曜日の午後という、行楽地としては最も込み合う時間帯に来たのですから、並ぶのはしかたない。しかし、並ぶのが趣味、苦痛でない、という方は別として、大半の人にとって、並ぶより並ばない方が良い訳でして、5分10分ならまだしも、1時間以上となるとサスガに不満を憶えます。こうなると、山頂に居られる時間もその分短くせねばならないし、その後の予定にも影響が出ることでしょう。これが平日だったら、多分その5分10分で済んだことでしょう。仕方がない、と理解はできても、平日に来たお客に比べれば、1時間以上も並ばされるお客には迷惑をかけている、とは言い過ぎですが、同じ料金を払っているのにこの差に、何となく不公平感を感じてしまいました。代金が得られる価値に比例するなら、山麓から頂上への景色の変化、山頂からの眺望などの価値は同じだとして、それを得られるために1時間待たねばならぬのと5分10分で済むののとは、得られる価値に差異が生じているのではないか。「本日は混み合っていて、長い間お待たせすることになり申し訳ありません。つきましてはお詫びとして、ロープウェイ料金を値下げさせていただきます」とでもアナウンスされれば、納得できたでしょうか。
しかしです。そんな価値と代金の事を言うならば、需要と供給の関係にも目を向けなければなりません。限られた供給量に多くの需要が有れば、そのものの価格は上がるのが普通です。現に、ホテルや旅館の宿泊費は休前日と平日では違って当たり前になっていますし、行楽地の駐車場などは、シーズン中は有料でも、シーズンオフには無料になるところも多いです。それを当てはめれば、ロープウェイの運べる人の数は一定なのですから、多くの需要が有れば値段が上がって当然ということになります。平日と休日では料金が違って当たり前ということになります。幸い、この琵琶湖バレイのロープウェイはそんな料金の区別をしていないのですが、仮に平日と休日で料金が違っていたとしたら、納得できたでしょうか。
とまあ、並ぶのが苦手な私がツラツラと考えを巡らせていたら、下山のロープウェイに乗る事が出来ました。降りてしまえば、そんなくだらない考えなど吹っ飛んでしまう私ですから、たぶん他愛も無いことなんでしょうね。

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ちなみに家に帰って調べたら、この琵琶湖バレイのロープウェイは、通常は秒速12mで、混み合うシーズン中は秒速7mで運行している、とのことです。努力や工夫されているのに、つまらないことを考えてしまって、スミマセンでした。

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思案橋 [巷の雑感・時の想い]

まったくこの蒸し暑い中、セコセコした毎日を送っています。それでもフッと何も予定が無い休日が有ったりします。そんな日には、部屋の片づけをしたり、買い物に出かけたり、買ったままの本を読んだり、そんな時間の使い方が思い浮かぶのですが、それすらも無い。いや実際には有るのでしょうが、そんな気にならない休日って、皆さんありませんか?
空を見上げれば、梅雨の曇り空。「ときどき雨」という天気予報じゃあ、出かける気にもなれず、窓から見飽きた光景をボーっと眺めていると、頭に浮かぶのは過去のことだったりします。「歳を取ったからさ」「暇な身分がうらやましいよ」そんな言葉が返ってきそうですが、反論はできないかな、と最近思います。若い頃はとにかく前だけを見つめて歩き続けてきた。それは振り返る過去よりも、目の前に広がる未来の方がずっと大きかったからです。それが50年以上も生きていれば逆転してもおかしくはない。自分の為、家族の為と遮二無二走って来たのに、「ちょっと休んでいいよ」と言われると、足元を見た次に、振り返ってしまう。私にはまだ仕事が有り、養わねばならない家族がいるので、たとえ振り返っても一時の事。また前に向かって歩き続けなければならないのですが、これが仕事が無くなったり仕事ができなくなったら、と思えば、歳をとるということはこういうことなのかな、と考えてしまいます。これをご覧の皆さんは、私などよりずっとお若いでしょうから、分かって頂けるでしょうか。

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我が街に「思案橋」という旧跡があります。以前は「橋」があったのでしょうが、現在は沿岸部の埋め立てで無くなり、1987年に橋を模したモニュメントとして残されています。
その名の由来は、

天正十年(1582年)六月、突然もたらされた「本能寺の変」の報を受け、当時の泉州堺を豪遊していた徳川家康が、急遽自国の浜松に戻る途中に立ち寄り、ここより海路を進むか、陸路を進むか、を思案した場所がこの橋だったことから、「思案橋」と呼ばれることとなった(結局、家康は当地の廻船問屋の協力を得て、海路で戻った)

とのことです。同じような報を受けた羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、好機と見て中国大返しを行ったのと対照的に、慎重な家康は、まずは自国に戻ることを優先したというところが、両者の人物像の違いを対照的に表しているので、妙に納得してしまうのですが、もちろん真実は分かりません。

思案とは、「あれこれと考えめぐらすこと。または、その考え」です。思案することは人間だけが持つ英知の一つなのでしょう。いや、他の動物にも人間ほどではないにしても、思案することがあるのかもしれません。いづれにしても、生きていく事にあたって多くの選択をしなければなりません。人は誰しも、最短で、最小の努力で、より良い結果を求めます。その為に思案し、決断し、選択し、それを生きている間ずっと続けていきます。けれど、本当に最短だったのか、最小の努力だったのか、得られたものが最大・最良のものだったのか。それは気持ちの持ち方、見方の違いで、如何様にも判断できる、結局はあやふやな、曖昧なものなのです。人生に絶対的な尺度など無いのです。徳川家康にしても、本当に陸路ではたどり着けなかったのか、海路の方がリスクが高かったが運よくたどり着けただけなのか、それは誰にも分からない。
思案橋は国道164号線を挟んで、両側の歩道にあります。普段は歩行者より車の交通量が多い道路です。こんな喧騒な場所に佇んでも、深い思慮は得られませんね。少なくとも、自分のこれからの人生の岐路を思案する場所じゃない。では、どこなら最適なのか。時は留まることなく流れ、時代や環境が常に変化していく中で、我々は思案と決断を繰り返さねばならないのですから、そんな最適な場所など元より無いのかもしれない。家康はこの橋でじっくり思案したのかもしれないが、現代の我々には、この橋ではちょっと短すぎるような気がします。

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