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ありがとう [巷の雑感・時の想い]

もう六月です。暦は確実に進み、我が地方も梅雨入りしたらしいです。

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今からちょうど5年前、2011年6月6日午後5時過ぎ、我が家の電話が鳴りました。愚息2号の通う中学校からでした。部室の屋根から落ちて病院へ運ばれたとのこと。部室が平家であることを知っていた私は、そんな高いところから落ちた訳でもないし、大したことはないだろう、と慢心して病院へ向かったのですが、しかしその後、救急受付の前で延々と待たされること4時間。慢心は心配に変わり、恐怖へと移りました。そして担当医から結果を聞いて、背中に重りを付けて闇の中に蹴り落とされた気がしました。ICUに5日間、チューブとコードに覆われた愚息の傍らで過ごしました。あの時の事は、一生涯忘れることは無いでしょう。
それがどうでしょう。半年もすればサッカーの試合に出れるほどに回復したのです。私はもう、誰に感謝の言葉を述べてよいのか分からないくらい、感激しました。私は何もしていません。きっと私たち家族の願いが神様に届いたのだと、そしてチームメイトの子達や保護者の方々、クラスメイトの皆や先生方、そしてこのブログで応援していただいた方々の想いが届いたのだと、心底思っています。「ありがとう」なんて、何か照れくさくて、まともに言ったことの無い私でした。でも私は決めたのです。
6月6日は誕生日でも、記念日でも、命日でもなく、ありがとうと思う日にしよう
そう思って毎年この日には、このブログに書いてきました。そして今日、5回目のその日が来ました。愚息は、高校でのサッカーをやり終えて、東京で大学生として一人歩み始めています。何と幸せな事でしょう。
ありがとう。
これまで励ましてくれた方、支えてくれた方、見守ってくれた方、みなさん本当にありがとう。
今年もこうして「ありがとう」と言えることに、ありがとう。


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そしてもう一つ、「ありがとう」と言わせてください。
このブログ「the piece of my life」の前身である「マイ趣味ライフ」を書き始めたのが、2007年1月25日のこと。途中、休憩期間もありましたが、9年半に渡って書き続けてきたブログも、この記事で無期限停止とさせていただきます。その経緯については、昨年11月11日の「節目」の記事のとおりですので、敢えてここでは書きませんが、「サッカー撮影100」も書き終えました。これまでこのブログ、一個人の取るに足らないブログにお付き合い下さった皆様、ありがとうございました。本当に感謝しております。ブログを通じてお会いできた方もいますし、顔を合わせずとも交流できた方々もいます。つたない文章と写真でも、このブログを続けてきて良かったと思っております。
私はこれからも、地方の片隅で、様々な想いを抱きながら生きていくことと思います。サッカーも撮り続けていくでしょう。「平凡こそ非凡なり」という言葉があるように、皆様におかれましても、これまで同様に元気で、これからもお過ごしいただくことを切に願っております。
これまで本当にありがとうございました。


ありがとう2.jpg




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本末転倒 [巷の雑感・時の想い]

本末転倒.jpg

家族を幸せにするために働いているのに
その仕事のせいで、家族に
負担をかけたり、我慢を強いることなど
本末転倒というものではないか、と思ふ



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散り行く桜 [巷の雑感・時の想い]

散り行く桜.jpg

散り行く桜
美しい花は永遠ではない
芽を出す若葉
季節の移ろいは留まらない
だからこの世界は
新鮮で満ち溢れている
だからこそ私たちは
歩みを止められない


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東京都板橋区南常盤台 [巷の雑感・時の想い]

常時接続が当たり前で、ブロードバンドが一般家庭を網羅した今、インターネットを使えば何でも情報が手に入ります。それだけ便利になり、身近になり、生活に必須になったと言えるでしょう。「ストリートビュー」というのもその一つ。賛否両論あるでしょうが、知っている街でも、行ったことの無い街でも、もちろんオンタイムの画ではないのですが、まるでその場所を歩いているように画像が得られます。
もう随分前になりますが、以前のブログで、忘れられない店について書いたことがあります。私が初めて一人住まいを始めた場所、大学4年間を過ごした街、そこに有る「サッポロラーメン ゼニガタ」という店です。貧乏学生の懐に優しい庶民的な価格はもちろん、都会的なお洒落な外観とは正反対の店構えも、田舎から出てきた私には親しみ易く、随分お世話になったものでした。そして何より、寡黙ながら温かみを感じさせるご夫婦が切り盛りするその味に惚れていました。しかし先日、そのストリートビューで見に行ったところ、その店は無くなっていました。代わりに、今風のラーメン店になっていました。
ショックでした。でも、時が誰にも等しく流れる大河のようであるならば、流れ去るものが有ってもおかしくはない。冷静に考えてみれば、私が大学を卒業して今春で34年経ちます。あのご夫婦も、もう70歳代後半ではないでしょうか。仕方がないのかもしれない、とも思いつつも、子供たちが東京住いになってから年一度くらいは上京しているのだから、行くべきだった、との後悔が後を絶ちません。カウンター席だけの小さな、そして昔ながらのラーメン屋さん。もう一度行きたかった、もう一度食べたかった、もう一度会いたかった。でも、もう無い。これもネットで検索してみて分かったのですが、2014年まではレビューが書かれていましたから、それから程なく閉店されたのでしょう。大切な思い出がまた一つ、消えていくのを感じました。
私がその店に行ったのは2008年の11月。ですが、実はその後にもう一度、その地を訪れた記憶があります。それが何時だったのかは定かではありませんが、その日は休みだったのか、シャッターが下りていて店には入れませんでした。ただその時、「もう此処に来るのは、今日が最後にしよう」そう思ったことをはっきり憶えています。そしてそれ以後私は、彼の地を訪問していません。

南常盤台.jpg

池袋から延びる東武東上線。その5つ目の「ときわ台」駅には北口と南口があります。北口を出れば大きなロータリーが有り、それを囲むように立派な銀行の支店が並び、区立図書館も有ります。そしてその背後には高級そうな住宅街が広がっています。それに比べて南口は庶民的で、小さな店がゴチャゴチャと雑居している下町風の雰囲気が残っていて、ラーメン店「ゼニガタ」もその南口から数十メートルのところに有りました。私が住んでいたアパートは、その南口の雑踏を抜けて10分ほど歩いた川越街道近くに有り、そこから池袋にある大学に4年間通っていました。田舎者の私が膝を抱えて眠った処、夜を徹して友と語らいあった部屋、泣きながらトボトボと歩いた細い路地、夢や希望を抱きしめて駆け上がった駅の階段、それら全てが詰まった街でした。
大学卒業後は居を大田区に移しましたが、それでも度々この地に顔を出していました。この店の味を楽しむ、それも魅力の一つではありましたが、それだけではなかった。街は生き物です。来るたびに変わっていく街並み。その一つ一つを確かめる行為は、今の自分とあの頃の自分を重ね合わせて違いを見つける行為に等しかったのだと思います。この地に縁者も知人も居ません。居るのは過去の自分だけなのです。それでも、まだ私が都内に居る間は、懐古感めいたものは大して抱いていなかったように思います。それが自覚するようになったのは、この地から遠く離れた、生まれ故郷に戻ってからでした。もちろんそうなれば、気軽に行ける距離でもない。記憶の中の街並みは変わらないのに、現実の街は年々変わっていくのですから、十数年ぶりに訪れた時には、変わってしまった驚きと、変わらないものへの懐かしさと、そしてあの時の自分と変わってしまった自分、それら全てを目の当たりにした時、えも言われぬ感情で満たされた時、悟ってしまいました。故郷を離れて此の地で過ごし、今はまた生まれた地で過ごしているとはいえ、実は此の地もまた「故郷」なのではないか、と。
けれど、現在をもがき進む自分にとって、この地に長居することは許されない事だと思いました。此処には、過去の自分と想い出しかありません。若く未熟で、楽しくも辛くも有ったけれど、今の自分を傷付けるようなものでもなく、後悔や懺悔の気持ちが起こっても、今の生活を乱すようなものでもない。現実世界からワープする、とは語弊があるかもしれないけど、過去の自分を振り返って反省するなんてカッコ良過ぎるけど、逃避行的と言われれば決して無駄ではないと反論したくなるけど、でも此処は過去だから、如何に心地良くても、何時までもここに留まってはいけないと思ったから、遠くに有りて想うことはあっても、此の地に足を踏み入れることはもう止めようと誓ったのでした。
現代のインターネットの便利さが導いた、何年振りかで湧き出た、極めてアナログでノスタルチックな感情。その象徴が「ゼニガタ」という名のラーメン店だったのです。それが失われたと知ってしまった今、暫しまた過去への旅に誘われている私です。それは恥ずべき行為なのでしょうか。懐古趣味など老人のようだ、と批判されるでしょうか。確かに「懐古」に浸ってばかりでは前に進まない。過去の出来事を客観的かつ歴史的に振り返る意を表す「回顧」でなくてはならないでしょう。でも、そんな頭で考える理屈より、心が郷愁に浸る時もあります。そして私は、そんな過去を持つことに、誇りに近いものを感じざるを得ません。それらの積み重ねの上に、今の自分が有るからだと思うからです。私が血を分けた子供達二人は、彼の地で精一杯生きています。まもなく最後の三人目も旅立ちますが、先の二人と同様、未熟ながらも自分の足で進んでいくことでしょう。それは、過去という石段を積み重ねていくこと。先の未来を凝視している間は、回顧などする余裕はないかもしれない。けれど何時かきっと、息が切れるまで走ったその後、フッと振り返る時が来るかもしれない。その時に、たとえほろ苦いものであったとしても、恥ずべきではない過去を持っていることを、私は期待したいと思います。
人にとって故郷とは、生まれた場所一つ、ではないのかもしれません。


時には昔の話を


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