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夕陽を追いかけて [本・映画・アニメ・詩歌]

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随分昔のことです。地方に生まれた私は、一年に一度必ずやって来てくれる、あるバンドのファンでした。そのバンドの名前は、Tulip(チューリップ)。田舎の街ですから、さほど大きくもなく、音響効果など考えられているのかどうかも疑わしい会場でも、毎年やって来てくれる彼らを毎年見に行ってました。友人達の分も含めて、毎年多数のチケットを購入し続けたせいで、主催者の方と面識を保つようになり、「当日配られる冊子に、ファンの声として文章を書いてみないか」との誘いがありました。自分の書いた文章が公に見られるようになった初めての事、高校2年生の出来事でした。今年最後にご紹介させていただくのは、そんなチューリップが1978年にリリースした、「夕陽を追いかけて」です。

しばらくぶりの故郷は
大きな町に姿を変えていた
体をゆすって走っていた
路面電車は今はもういない

悲しみこらえ佇んで
好きだった人 永く見送った
後姿に似合ってた
あの海辺の道 今は車の道

でも海はまだ生きていた
いつも勇気をくれた海だった
空の星は昔のまま
指先に触れるほど近くに


この曲は5分以上という、当時としては長い曲です。しかも、いわゆるAメロがBやCに発展せず、同じメロディが延々と繰り返される詩です。よって、作者である財津和夫が、歌詞に重点を置いた詩だと思われます。チューリップは福岡出身の5人のバンドですから、ここでいう「故郷」とは、福岡のことだと分かります。この詩の主人公(おそらくは財津和夫自身)が、故郷を離れ、自らの夢の実現の為に東京へ行き、久しぶりに故郷に戻ってみたシーンが思い浮かびます。そこで彼が見たものは、変わってしまった故郷の姿と、過去の自分です。

いつからだろう 父は小言の
たった一つもやめてしまっていた
いつからだろう 母が唇に
さす紅をやめてしまったのは

永生きしてねの一言さえも
照れくさく言えず 明日は出て行く日
戻っちゃだめと自分に言った
切り捨てたはずの故郷だから


幼い頃、自分を育んでくれた故郷。そこには変化も変わらないものもありました。それら一つ一つに触れていくにつれ、よみがえる記憶。それは想い出として切ないものもあったことでしょうが、同時にその大切さも感じたことと思います。故郷を故郷足らしめる両親の存在。久しぶりに目にした両親に老いを感じながらも、何も言えず、でも戻ってはならないと自分に言いきかせる。彼がまだ道半ばである証左でしょう。それらを訥々(トツトツ)と綴り続けます。
この詩が生まれた1978年当時、作者の財津和夫は30歳。チューリップのリーダーとして、確たる評価を受けつつある時期です。決して挫折したり、夢破れて舞い戻ったのではありません。現在、そしてこれから先、彼が生きて活躍していく世界は、この故郷ではない。けれど、ココに戻ってみた彼の脳裏に去来したものは、何だったのでしょう。

都会に海が見えないから
他人は僕を 笑いものにする
都会の星はとても遠いから
他人は僕を 夢見る馬鹿と言う

いつだって真剣に
僕は生きてきたはずだけど
でもいつもそこには
孤独だけが残されていた

沈む夕陽は止められないけど
それでも僕は追いかけて行く
沈む夕陽を追いかけて
死ぬまで僕は追いかけて行く

追いかけて追いかけて
死ぬまで僕は追いかけて行く
追いかけて追いかけて
死ぬまで僕は追いかけて行く


この詩のタイトルにもなった「夕陽を追いかける」とは、どういう意味でしょう。朝日ならば「誕生」を示唆し、これから先の明るい未来を連想させます。逆に「夕陽」は終末をイメージさせます。夕陽が沈んでしまうとは、光が無くなり闇になることで、人に例えるならば「死」でしょう。「沈む夕日は止められない」とあります。加齢は止められず、死に一歩一歩近づいていく終末観を唄っているのでしょうか。否、そういう風には思えません。作者は「追いかけていく」と言います。「死ぬまで追いかけていく」と繰り返します。そこに、彼自身の決意が感じられないでしょうか。
夢を実現するために故郷を離れ、都会に旅立った主人公が、久しぶりに帰った故郷が変わっていく様を見て、既に故郷自体が自分の思い出になってしまったことを知らされます。けれど、「故郷に錦を飾る」程の成果を未だ得られていないと思っている自分が、たとえ更なる困難が待ち受けようとも、帰郷することを潔くは思わず、たとえ夕陽が止められないとしても、笑いものにされても、バカと言われても、夢に向かって歩みを止めない、私にはそう聞こえます。ここに出てくる「故郷」とは、それを再確認するためのものなのでしょう。
「故郷というものを持っていない」と思っている方もいるでしょう。何も故郷は遠くにあるものだけではないのです。幼き頃、若き頃、夢や希望を抱いた頃、そんな頃の想い出も故郷なのです。そしてそんな想い出の一片に相対した時、現在の自分の姿、現在の自分の立場、得られた成果、失った時間、残された孤独、そんなものを感じるかもしれません。時は非情です。誰にでも平等に、休むこと無く時を刻んでいきます。だからそこで、歩みを止めてしまったら、夕陽は沈んでしまう。一時振り返ることは無駄ではないけれど、追いかけていくことが生きることなのだと、この詩から感じた次第です。

明日も今日と同じように、東から陽が昇り西に沈むでしょう。それを一日と定めたのは人間です。限りなく続く時の流れに、人は何故、暦を当てはめたのでしょうか。それは、記憶するためです。起こった事、感じた事、成した事、失った事、それらを全てを記憶として残す手段として、永遠に続く時間に区切りを定めたのです。
まもなく今年も終わります。嬉しかった事、悲しかった事、悔しかった事、満足した事、辛かった事、皆様方には、この一年でいろんな事が有ったことでしょう。私にも有りました。それら全ての記憶の上に、現在の自分が居ます。来る新年も、いろんな事が有るでしょう。それは、沈む夕陽が止められないのと同じで、避けることはできません。それでも、一時立ち止まり振り返る事があったとしても、たとえゆっくりとでも、歩み続けたいと思います。夕陽が沈むその時まで。

この記事を以て、今年の締めとさせていただきます。この一年、ありがとうございました。



夕陽を追いかけて


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住魚たち2014 [熱帯魚]

熱帯魚の話題は、ここのところまったく書いていないのですが、もちろん熱帯魚飼育は続けています。ただ、この一年全く変化らしきものが無い。前回書いたのも、ちょうど一年前でして、「現在の住魚」として載せました。今回も(記録としての意味合いが濃いですが)、一緒に年を越すであろう魚たちを載せておこうと思います。

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アメリカン・シクリッド。我が水槽で最大魚で、50cmオーバー。120x60x60cm水槽で元気に暴れてます。

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トランスルーセント・グラスキャット。高水温に弱いのですが、今年の夏も耐えてくれました。

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コリドラス・ステルバイ。愛嬌のあるヤツです。もう少し数を入れてもイイかな、と思ってますが。

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プラチナ・エンゼルフィッシュ。実はかなりの高齢のはず。相方を今年亡くしてしまい独り身に。

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マーブル・エンゼルフィッシュ。これも高齢のはずです。

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パラティラピア・ポレニィ。昨年から大きくなってはいませんが(体長20cm程)、気が荒く、元気。

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シクラソマ・マウリカウダ。ウチの住魚の中では一番の高齢のはずですが、歳を感じさせず。

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アルゲンティア。もう少し大きくなってほしいところですが、大きさの変化なし(約30cm)。

この一年、一週間に一度の水替えと二日に一回のエサやりだけです。手間がかからない奴等ばかりでして、コイツ等と一緒に今年も年を越します。

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X'mas Express [巷の雑感・時の想い]

街は既にクリスマス一色ですね。
お盆には寺院にお世話になるのに、クリスマスとなればサンタクロースになり、年が明ければ神社に初もうで。日本人ってヤツは無節操、というご批判もあるでしょうし、商魂逞しい影響のせいだ、という意見もあるでしょう。諸外国から見れば奇異に映るかもしれませんが、そんな日本にいる我々は、常日頃から煩雑さの只中にいるのですから、それならば口実を見つけては、その時その時を楽しんでも良いのではないか、とも思います。

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話は変わって。
携帯電話の普及率は、とうに100%を超えているそうですね。勿論、一人で複数台を持っている人がいるからなのですが、今や小学生から高齢者まで当たり前にように持っていて、持っていない人を探すのは、さぞかし難しい事なのでしょう。使う頻度や内容は人其々として、いつでもどこでも連絡をとれるということが、便利と感じるより当たり前になりました。更に声だけでなく、私の子度の頃には未来の話だったテレビ電話も現実となりました。リアルタイムで相手とつながる手段があると、「待つ」という行為が、退屈や心配、不安を伴うことが少なくなり、地理的距離は遠くても、時間を共有できる意味合いが濃くなります。しかし、人は人間。音声信号や画像の交信だけで理解し合えたり、感情を漏らさず伝えることができるとは限りません。どんなに便利になろうとも、その人と会いたい、会って伝えたい、理解したい、と考えるのは、人が人故の証であり、時代や道具が変わろうとも、不変だと思いますし、不変であるべきでしょう。
一年に一度のクリスマスイヴ。恋人たちにとっては、大切な日。子供たちにとっては、楽しみな日。家族を持つお父さんやお母さんにとっては、できる限り早く家に帰りたい日。その理由は、会いたい人がいるから。あなたが会いたいと思う人は、きっとその人もあなたに会いたいでしょう。そんな日が、一年に一度くらいあってもいい。そう思います。
Merry Christmas !







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雪化粧 [日々の徒然]

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昨日は朝から、爆弾低気圧の影響とやらで、我が街もうっすら雪化粧でした。
車をアクアに乗り換えたことは、このブログでご報告しましたが、スタッドレスタイヤの購入予定無し、とも書きました。だってハリアーの時に、ほとんど舗装路ですり潰してしまったのですから、年に一回有るか無いかの頻度ではネ、と。でもうこうして雪が降ると欲しくなりますね。やっぱり「安心料」は払うべきだったのか。
その雪も、翌日には道脇に僅かに名残を残すのみで、今日はすっかり無くなってました。やっぱりいらないか~、もっと他に欲しいものもあるし。

雪国にお住いの方はきっと違うでしょうが、私には「雪ははかない」と思えます。全てをすっかり白銀で覆ってしまう雪は、日常の風景を一変させます。本当は何も変わっていない街を、モノトーンの世界に塗り染めます。けれど、それは一時のこと。翌日には本来あるべき姿に戻ってしまい、人を日常に引き戻します。まるで、一時の夢のように。

しかし、なぜこんな忙しい真っ只中に雪なんて降るのでしょう。もう少し待っていてくれたら、楽しむ余裕もあったかもしれないのに、とボヤク私でした。

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プロ [巷の雑感・時の想い]

ある保険会社の調査で、小学生以下の子供たちに「大人になったらなりたいもの」と聞いたところ、サッカー選手と答えた男の子達が5年連続の1位になったそうです。全くサッカーをやった事の無い子供がサッカーを選ぶとは考え難いので、それだけサッカーピラミッドの裾野が広がったということでしょうか。また、今年はワールドカップもありましたし、テレビでそのスーパープレイを見た影響もあったとは思いますが、いずれにせよサッカーに少しでも関わる者としては喜ばしいことです。

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もうずいぶん前の話です。「ウチの子も、サッカーじゃなくて野球をやらせればよかった」。ある保護者の方との談笑で、そんな言葉が聞かれました。その野球は現在はシーズンオフということで、新聞紙面などでは、契約更新やトレード話で億単位の金額が飛び交っています。もちろんプロ野球とて厳しい世界。そう簡単に1億を超える金額を貰える訳ではありません。本人の才能、努力、実績、周りの協力、そして運。それらが全て欠けることなく備わってこその金額だとは思います。けれど日本では、そんなプロ野球選手に比べれば、プロのサッカー選手の貰える額は概して少ない。年棒で1億を超える金額を得られる選手なんて、今の日本人選手に何人いることか。そんな話の際に出たのが、先のある保護者の方の発言でした。ちなみに、その方のお子さん(ウチの愚息1号の先輩)は、今はプロのサッカー選手、Jリーガーになっております。
「サッカーなんてまだイイ方だ」そんな声が出てくるでしょう。巷には多くのスポーツ競技が溢れ、それぞれがそれぞれの目標をもって、更なる上を目指し、努力しています。でも、まだプロ選手が存在しない競技も多いですし、あってもその収入だけで一家を賄えるほどにならない競技もあります。純粋にスポーツを愛し、それを嗜む方々には、「そんなお金の話なんて」「損得勘定だけで考えるものではない」とのお叱りを受けそうですが、しかし人間は、金銭無くして生きていくことができないのも事実です。そんなことを嫌というほど味わってきた親が、子供の将来に考えるにあたって、その金銭の事を抜きに考えることもできないのは、自然な事だと思います。
親はいつまでも親です。子供がサッカーを続けようが止めようが、他の競技に転換しようが勉学に目を向けようが、です。親は監督やコーチではありません。だからサッカーを教えることはできないかもしれません。けれど、そのチームを離れようが辞めようが、その子の親であることには変わりなく、一人前の社会人にする責務があります。だからこそ、少なくとも自分で稼いだ金で生活できるようになるまで、親は子を心配し、時に相談相手になり、時に厳しく指導し、社会の一員というところまで押し上げようと努力します。プロ選手も社会の一員なら、途中で挫折してサラリーマンになった人も社会という大きな枠組みの一員であることに変わりないのです。そして何より、そんな社会の一員としては、親は子の先輩でもあります。
親が子に、自分が果たせなかった夢を託すこともあるでしょうし、自分の味わった苦節だけは避けて通らせてあげたい、との想いも有るかもしれません。「自分の進むべき道は自分で決めろ」「自分で決めたことなら最後までやり通せ」それは立派な考え方だとは思います。ただ、まだこの社会を見回せるほどの眼力を持ちえない子供に、それだけを強要するのは無理があるかと思います。子がどんな選択をしようとも、あなたが親であることには変わりない。だからこそ、子がどんな選択をしようとも、最も身近な社会の先輩であるべきです。
ウチの愚息1号の同級生に2人のJリーガーがいます。一人は同じ市中ながら別のチームに所属していた子で、小学生時代に何度も対戦しました。今は名古屋グランパスの選手です。もう一人は中学生時代のチームメイトで、今はジュビロ磐田の選手です。ただその時に愚息と共にボールを蹴った子達は、その2人だけではありません。何倍、何十倍もの同期生がいましたが、途中で別の道を選択し、今はみんな社会人一年生です。この時期、小学生や中学生の保護者の方々は、子供の進路に苦慮しているかもしれません。いや、苦慮してください。小学生や中学生で、全てを見通せるほどの知識も経験もないのですから。高校生の親御さんは、子供の決めた進路に不安を覚えているかもしれません。不安だったら、見てあげてください、聞いてあげてください。少なくとも子供の生きてきた歳月より、ずっと長くこの社会で生きてきた先輩なのですから。
社会人のプロというのは存在しないかもしれません。けれど、自らが働いて得た金銭で一家を養い、そこで子を産み育ててきた親は、立派な社会人のプロだと思います。

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